第三章 : 必然と偶然
 



「王女は、歴史を作るのは偶然と必然、どっちだと思いますかな?」
ある日、書庫でルペスがアルディナに謎かけした。
王女は少しだけ逡巡してから答えた。
「そうね、歴史には流れがあり、その時代の背景、時節、人心により、物事は起こるべくして起こり、そこに至るのだから、必然だと思うわ」
老賢者は頷き。
「確かに姫の言う通り歴史には抗えない流れという物がありますな。しかし、姫よ、大抵事の起こりはほんの些細な偶然なのですじゃ。小さな偶然にさらに幾つもの偶然や選択が重なり、やがて大きな流れと成って、それを後で人は必然と呼ぶ──だから姫よ、大切な事は何だと思いますかな?」
「大切な事?」
「悪い偶然の芽は摘み、良い偶然の芽だけ育む事ですじゃ。
ほんの小さな火種がやがて国を焼き尽くす大火になる事があるゆえ。
手がつけられないぐらい大きくなる前に───災いの芽は早期に見つけて摘み取らねばなりませぬ。
増してや姫は世継ぎの君、国の破滅も繁栄も、この先の国の命運を握るのは、貴方様なのですから」
 
(なんでこんな時に ルペスの言葉なんか思い出してしまったのかしら?)
 
馬上で黄金の髪をなびかせながら王女は考えた。
今まさにアナベルディナは夜の闇の中、馬を駆り、矢の様な速度で、第四大臣邸に向かってひた走っているところだった。
その背後には同じく馬に騎乗したセルティスとレミオンの姿がある。
今の平和な時代、王族は白い馬を好んで乗る物だったが、アルディナの愛馬ドルードは、夜の闇に溶けこむような光沢のある漆黒の毛とたてがみを持つ黒塗りの馬だった。見映えはいいが病気になりやすく足の速い馬も少ない白馬は、アルディナの好みではなかった。彼女は足が速く強靭な体躯をした持久力のある馬──このドルードみたいな馬をこそ好んだ。
セルティスが乗っている馬はドルードの妹馬でヘリテという駿馬だった。兄妹馬は足が速い馬をかけあわせて作られた優れた血統を受け継いてでいたので、その末足は恐ろしく早く、追随しようとするレミオンの馬をどんどん引き離して行った。
レミオンにとって幸いだったのは行き先が決まっていた事だ。
 
アルディナは到着すると、大臣邸の前に詰めていた兵士に馬を預け、セルティスと並んで屋敷の中に入った。遅れてやって来たレミオンも、あわててその後を追って入る。
長い廊下には道標の様に兵士が立っていて、先に第四大臣邸に到着していた近衛兵の中にファリスの姿もあった。
「姫──なぜここに?」
「第四大臣はどこ?」
「はい──」
王女の思いがけぬ登場に目を見張るも一瞬、すぐに元の表情に戻り、ファリスが姫を先導して歩き始める。
「この部屋です、アナベルディナ様」 
伴われて入った部屋は血の臭気でむっとしていた。
まさに血の海という表現がふさわしい、室内の家具や床は血が塗りたくられたように朱に染められている。
先に部屋に入ったファリスがベッドへ近ずき、かぶせてあった布をサッと取ると、下から現れたのは折り重なった血で赤く濡れた二体の死体がだった──第四大臣の身体の下、華奢な少年の白い裸体が押しつぶされる様に横たわっている。
「うっ」
その血なまぐさい死体の様子にアルディナの背後のレミオンが、さっそく吐きそうになって口を抑えた。
さすがのアルディナも凄惨な光景に胸が悪くなり、顔を歪めた。
セルティスだけが死体を見るのに慣れているのか、わずかに眉根を寄せただけだった。
第四大臣ガムレーの致命傷は問うまでもない、大臣は首から上からがすっかり無くなっていたのだから。
同じく下の少年の死体の首も刈り取られている。その時に壊れただろうか、鎖のついた破損した首輪がベットの脇に転がっていた。
部屋中に飛び散ってる血も、賊に首をバッサリやられた時に噴出した二人分の物らしかった。
「第一発見者である侍女がこの部屋へ入った時、まだ大臣の首の断面からは、血が噴水の様に飛び散っていたそうです」
ファリスが訊かれもしないのに説明した。
とうとうこみ上げてくる物に耐え切れなくなったレミオンが口を押さえたまま部屋の外に飛び出して行った。
「ガムレーの首はそれ?」
「はい」
アルディナに答えるように、ファリスが血まみれの床から、ガムレーの首を掴んで持ち上げてみせた──そのまるで物でも拾い上げる様な無造作な手付きを見て、この少年はかなり大物かもしれないとセルティスは思った。
その時、廊下では、そのファリスの幼い頃からのライバルであるレミオンが、今夜食べた夕食を全部床にぶちまけているところだった。
「少年の顔を見せて」
「かしこまりました」
ファリスは持っていた大臣の首を慎重に下ろすと、今度は少年の首を拾い上げた。
「これは──酷いな」
さしものセルティスも思わず声を上げる。
「──」
王女も顔をしかめた。
大臣が首を切られただけであったのに対し、少年はさらにその顔を目鼻が分らない程ぐちゃぐちゃに潰されていた。あの美しい紫水晶の様な双眸も無残にえぐれて、眼窩には虚ろな穴が空いている。
「誰がこんな──」
王女は低く呟いた。その声は珍しく震えていた。既に、見下ろす気丈な顔からは血の気の失せ、紙の様に白くなっている。
アルディナには俄かに信じられなかった。この無残な亡骸があの美しかった少年と同じ物なのだろうか?
彼女にも分っていた。自分には少年の死を悼む権利も、惜しむ権利も無い事を──
それでも 、あの美しい瞳をもう二度と見る事は無いのだと思うと、とても貴重な物を失った気がして不思議に心が疼いた。
(私らしくない)
感傷を断ち切る様にアルディナがファリスに問いかける。
「何か手がかりは?」
はい、とファリスがすぐに答える。
「特に証拠の様な物は今のところ見つかっておりません」
「侵入経路は?」
「誰かが手引きをしたので無ければ、塀を越えて入ったのかと思われます、門の施錠は完璧でした。賊は敷地内に入ってから、廊下の窓を破って屋敷内に入った様です。破られた窓の近くに衛兵の死体がありました。あるいはその者に大臣の居場所を訊いてから殺したのかもしれません。この部屋は見ての通り、窓が無くてあるのは小さな通風口のみ、ドアも分厚いので、鍵をかけていれば入るのは容易では無いのですが、運の悪い事にその時は鍵をかけて無かったようです」
「部屋の鍵が?」
王女は考え込んだ。それは随分無用心でタイミングが良い気がしたが、普段から大臣は鍵をかける習慣が無かったのかもしれないし、一概には言えない。
「補足ですが、大臣はここ数日は公用で外に出る以外ほとんどこの部屋に篭っていたらしいです」
「この国の第四大臣とやらは随分いい趣味をお持ちの様だな」
そこで、アルディナの横で腕組みしていたセルティスが、縄で縛られた少年の腕や転がっている首輪を見て、軽蔑もあらわな声で言った。
国の恥部をつかれ、ファリスとアルディナが一瞬気まずそうに黙る。
「何か屋敷から盗まれた物はあるの?」
気を取り直しアルディナがさらに訊いた。
「特に今のところは無いそうです」
「そう──」
アルディナは唇を指先でなぞり、目を細めて考え込んだ。物捕りが目的では無いとすると、やはり大臣の命が目当てと考えるのが妥当だろう。
問題は誰が、何の目的でと言う事だ。
その時、王女の思索を断ち切る様に、バン、と勢い良く部屋のドアが開け放たれた。

「アナベルディナ殿下」

「あら、第7大臣」
つかつかと早足で部屋に入って来たのは治安担当の第7大臣ディアスだった。
「見張りの兵士に姫様が来てると訊いたので飛んで参りました──この様な血なまぐさい現場、美しい姫様には相応しくありません」
開口一番、ディアスは極めて真面目な表情と口調で王女に進言した。
ブロンズ色の髪と鳶色の瞳をした今年25歳になる若き第7大臣ディアスは、四年前セルティスを頭領とする山賊を討伐する時指揮を取った人物である。
アスリー軍はこの第7大臣と第3大臣が指揮を取っていて、外に向けての守りが第3大臣の仕事なら、内の守りが第7大臣の仕事である。
今は平和な世の中ゆえ、第3大臣は軍隊の編成と訓練、第7大臣は治安維持の為の軍隊による国内巡回を監督している。いわば警察機関の長という訳である。
このディアスは育ちの良さそうな優男だが、なかなか有能な男である。彼の政治生命の中での唯一の失態は、今目の前にいるセルティスを頭にした山賊を駆逐する為に組んだ討伐兵に多大な死傷者を出してしまった事だけである。
アルディナはわずかに鼻白んだ顔でディアスを見た。
「別に捜査を邪魔するつもりで来たんじゃないわ。ディアス」
ディアスはあわてた。
「滅相もないです姫様。その様なつもりで言ったのではありません」
「分っているわよ」アルディナは溜息をつき「それで捜査ははかどっているの?」
ディアスは突如渋面になった。
「はい、今の時点ではなんとも、今陛下に報告に上がり、迅速に賊を捕らえる様にと厳しくご指示を賜ったところです」
「まだ起こってから数時間しか経ってないのだからしょうがないわ。何か捜査が進展したら私にも報告してくれる?」
「畏まりました。ですが、今回の事はアナベルディナ殿下のお手をわずらわせるまでございません。賊は、このディアスが速やかに捉えてみせますゆえ、全て、安心してお任せ下さい」
「頼もしいわね。じゃあ取りあえず後は任せたわ。私ももう夜も更けたし帰って寝るわ」
溜息と同時に言うと、アルディナは用事は終わったと言わんばかりにディアスの脇を抜け、さっさと部屋から立ち去ろうとした。そのすぐ背後に長身のセルティスも付き従う。ディアスはあわててマントを翻し、その後背を呼び止めた。
「待って下さいアナベルディナ殿下、帰るなら兵士に城まで送らせます。この夜道、護衛が二人だけでは危険です」
アルディナは面倒臭そうに振り返った。
「必要ないわ。このセルティスが居れば兵士100人分に匹敵するの事を、他ならぬ貴方が一番知っている筈よ、ディアス」
暗に四年前の事を言っているのである。
「それでも、どうか兵をお連れ下さい。姫に何かあれば、私の首が飛びます!」
「じゃあこのファリスを借りていい?」
いい加減眠いので王女は妥協案を出した。
「はい、それにもう15人程お付け致します」
「勝手にして」
言うだけ無駄だと諦め、王女は素直にディアスに任せる事にした。
(ただしついてこれたらだけどね)

その帰り道、ドルードの末足について来れた馬は妹馬へリテのみだった。

明けた翌朝。
朝っ原から、亡霊の様な顔でレミオンが城の廊下に佇んでいた。
彼の目の前にはアルディナの私室の四角いドアがあった。
(一体、どんな顔をして入ればいいのだろう?)
ゆうべの失態に酷く落ち込み、今朝のレミオンはほとんど眠っていなかった。
──昨夜──第四大臣の部屋から出てきた王女は、廊下で青白い顔をしてうな垂れているレミオンに無言で一瞥をくれ、そのまま声もかけず玄関の方へと歩いて行った。
その時一瞬自分に向けられた、アルディナの冷ややかな眼差しを思い出だすだけで、レミオンの胸はキリキリと締めつかられる様だった。
城に帰る途中もディアスに使わされた護衛の兵士に間を遮られていたのもあり、アルディナと言葉を交わすチャンスが得られなかった──そもそも王女の馬が早くて全然追いつけなかった。
帰った後も、王女は湯浴みしてすぐ寝てしまったので、結果、レミオンは夕べから一言も王女と口を利いていない。
(あぁもう駄目だ。今度こそアルディナ様に見放されてしまった)
石の壁に手をつき、頭を打ちつけながら、レミオンは苦し気な溜息を漏らした。
(あぁ、僕は軟弱な臆病者だ。馬を乗らせても剣に握らせても駄目で、挙句に女子供の様に気が弱くて、もう最悪だ)

「何をしているんだ?レミオン」

不意の声にぎくりとして視線を向けると、今この姿を一番見られたくない相手が向こうからやって来るのが見えた。
「ファリス──」
レミオンは素早く壁から離れると、乱れた前髪を直し、あわてて取り繕った。
「何でもないよ、アルディナ様に朝の挨拶をしにきただけだ」
「そうか、それならいいのだが」
少しだけ物言いたそうにレミオンの顔を観察してから、ファリスはアルディナの私室のドアの方へと視線を向けた。
「ところで姫様はもう起きているかな?」
「さぁ──僕も今来たところだから、いつもなら朝の湯浴みを終えているお時間だけど──夕べは色々あって遅かったから」
「そうか、分った」
頷いたファリスが、一呼吸置いてから、アルディナの私室の扉をノックした。
「おはようございます、ファリスです。報告に上がりました」
「──レミオンです」
すぐに内側から返事がして、お付きの侍女が扉を開いた。
今朝のアルディナはいつもより早起きで、既に湯浴みを終えて朝食を食べ終わったところだった。シンプルな水色のドレスを着たアルディナは、窓から差し込む陽差しに黄金の髪をまばゆく輝かせ、朝の白い光の中に溶け込みそうだった。その神々しいまでの美しさに、レミオンは思わず戸口で見とれ立ち尽くした。
「どうぞ、入って」
アルディナは二人に入室を許すと、食事の膳と共にお付の侍女を下がらせた。
「この時間に、ここに来たって事は何か進展があったのファリス?」
三人だけになるのを見計らい、アルディナはさっそく本題に入った。
「はい、姫様、ルペス老の事で色々情報が入りました」
ファリスの言葉に王女の表情がさっと変わる。
「どこにいるの?ルペスは?今朝も帰ってないんでしょう?」
「はい、それが──昨日の正午、刑場で見かけた者の話によると、ルペス老は弟子のセトと共に数人の男達に伴われ、どこかへ歩いて行ったそうです」
「数人の男達?それで」
「聞き込みをして足取りを追った結果、それから半刻後、街の外れの宿屋にその男達と一緒に入って行ったのを見た者が居ました──宿屋の主人に訊いた所、男達は南の方から香辛料を売りに来た商人という事です」、
南というと言葉にレミオンが鋭く反応する。
アスリーの山を隔てた南は砂漠である。砂漠の入り口に小さな都市があるが、アスリーの人間が南から来た人間と言えば砂漠向こうから来た人間の事を指す。過酷な砂漠越えをしてわざわざこの国に商いに来る人間は少ない。その珍しい南からの旅人が立て続けに来るとは随分な偶然である。
長いまつ気を伏せ、唇を指先でなぞりながら、アルディナは考え込んだ。
「じゃあルペスは今もその宿屋にいるのね?」
「はい、多分。一応宿屋の前に見張りの者を配して居ます。今のところ、その男達が出入りしている様子がありますが、ルペス老が出て来た様子は無いみたいです。ただ張り込みは夕べからなのでその前に宿屋から出ていれば別ですが」
「分ったわ」そこで王女は一端言葉を切って、視線をファリスから冴えない顔をして戸口につっ立っているでレミオンに移した。
「レミオン」
「はい」
一晩ぶりに王女に名を呼ばれ、レミオンは直立不動して返事を返した。
「出かけるから、セルティスを呼んで来て」
「分りました、姫様でも、どこへ?」
アルディナはいらいらした視線をレミオンに送った。
「宿屋に決まってるでしょう? 早くして、急ぐわよ」
「はい」
その言葉に、レミオンは弾かれた様に部屋を飛び出した──ゆうべの失態といい、これ以上王女の機嫌を損ねたくはなかった──

ドン。
「わっ!」
「あっ!」

慌てるあまり前を見ないで走り出したのがいけなかった──部屋を出てすぐの廊下で、レミオンは思い切り誰かにぶつかり、床へ転倒した。
「──っ」
昨日から災難続きである。
打ち付けた腰をさすりながらレミオン起き上がって見ると、ぶつかった相手はなんとルーファースだった。
「──なんだ、ルー!?朝からどうした?」
こんな朝早くにルーファースが城に居るのは珍しい、というよりレミオンが記憶する限り始めての事だった。
「ちょうど良かったレミオン!?第四大臣の屋敷に賊が入ったって訊いたから、心配で!」
同じく床に転倒したルーファースが、すっくと立ち上がりしな、叫ぶ。
「それで、なんで城に来るんだ?」
筋からしたら第四大臣邸へ行くべきである──理解しがたい思いでレミオンが尋ねると、ルーファースは迷い無く答えた。
「今度は賊が王女を狙っては大変だと思って!」
「──」
突飛な発想だが、ルーファースと同じく世界の中心がアナベルディナであるレミオンだけには、その心理が理解出来た。
「それでアナベルディナ王女は無事なのか!?」
「あぁ、無事だよ。今から外出するところだ」
そこで改めてレミオンは急いでセルティスを呼びにいかねばいけない事を思い出した。こんな所で呑気に会話している場合ではない──
「とにかく話は後で、今は急いでるんだ」
「外出!こんな物騒な時に?なぜお止めしない!?」
再び走り出そうとしたレミオンにがばっと飛びつき、興奮しているルーファースは過剰に非難がましい声を張り上げた。
レミオンはそんなルーファースの手をもぎ取るように掴んで自分の身から無理やり引き剥がし、
「すまないルーファース。事情は後で話すから!」
逃げるように城の廊下を脱兎のごとく駆け出した。
「レミオンっ──?!」
その背中が廊下の端に消えるまで茫然と見送っていたルーファースは、急にはっとして、身を返し、アルディナの私室の方へ歩き出した。
「僕がお止めしなくては──」
正体の分らない暗殺者がうろつくこの時期、うかつに外を出歩いて王女の身に危険があっては大変だ。
もし王女の身にまで何かあったらと想像するだけで、ルーファースの胸は不安でざわついた。

「親切な人間がいたものだな、俺が殺してやりたかったぐらいなのに」
「しっ──滅多な事を言うな、シルス」
大抵、人は自分が相手に与えたのに相応の物を、相手から受け取る物だ。
第四大臣ガムレーも同じ、自分が与えたのに相応の物、憎しみと軽蔑を息子達から等しく受け取っていた。
「キース兄さんだって同じ気持ちの筈だ。俺達がどれ程あの男に、辱められて来たか」
諌める兄の声に、シルスは苦々しい表情で吐き捨てる様に言った。
二人がいるのは城の東にある、凶行から明けたばかりの第四大臣邸。生前の第四大臣ガムレーが普段自宅で政務を取る時に使用していた部屋だった。緋色の絨毯にマホガニーで統一された重厚な家具が配されていて、書き物机の上には処理しかけの書類がそのまま積まれていた。
部屋で二人会話するキースとシルスの顔は一目で兄弟と分る程に酷似していて、両方赤毛で神経質そうな線の細い顔立ちをしていた。目だった違いは17歳と15歳という年の違いと、弟シルス方がそばかすが多い事ぐらいだった。
「もう忘れろ。あの男はこの世にいないんだ」
兄のその発言に、シルスがタイミングを得て尋ねる。
「キース兄さん、その事だけど、本当に父上をやったのは兄さんじゃ…?」
弟の言葉の続きをさえぎる様にキースがきっぱり答えた。
「違うと言ってるだろ、シルス、止めてくれよ、こんなめでたい日に」
「めでたい日?」
「そうだよ、めでたい日だ、そういえばまだお前からおめでとうを聞いてないぞ」
「おめでとう?」
怪訝な顔をするシルスに対し、キースは元は父親が座っていた皮ばりの椅子にふんぞり返って、高らかな声で言った。
「あぁそうだ、今日から俺が第四大臣だからな」
そう彼こそは第四大臣ガムレー第一子、キース・ボルズ。
新しくアスリー国の新第四大臣になる人物であった。
(……。)
ぴったりとドアに張り付き、そこまでの会話を盗み聞きしていた侍女は、その時、見回りの足音に反応して、素早くその場を離れた。

セルティスを呼びに行った足で自室に戻り、急ぎ、レミオンが外出の為の剣とマントだけ掴みアルディナの私室の前に舞い戻ると、既に扉の前には支度を終えたセルティスとファリス、ルーファースが並んでいた。
「アルディナ様は?」
「支度中だ」
答えたファリスは、元々近衛兵の格好をしているので赤いマントの中に短衣と剣を履いている。
ルーファースもあわてて来たのでシャツにチュニックだけの軽装だったが、王女の危機の為にかけつけてきたので一応剣は身につけていた。
普段から王女の警護でもあるセルティスは黒の長衣に常に長剣と短剣を二本づつ身につけているので、いつもの格好の上に黒いマントを羽織るだけで外出の準備は完了だった。ゆえに、支度を終えてゆっくり歩いて来ても、走って帰って来たレミオンより早く部屋へ到着していた。
「お待たせ」
支度が早いのはセルティスでだけではなかった、レミオンが戻ってからほとんど時を待たずして私室のドアが開き、王女が部屋から出て来た。
年が幼いとはいえ女にして破格の身支度の速さだが、問題はその格好だった。
「アルディナ様!?その格好は──」
扉から現れたアルディナの姿を見て、レミオンが絶句した。
部屋から出て来た王女は普段のドレス姿ではなく、短衣の上にマント羽織り、髪を無造作に後ろでたばねた男装姿だった。
同じ短衣でもレミオンのそれがマントとお揃いの銀色の布地に刺繍が入った絹製であるのに対し、王女のは灰色で、マントも薄茶色の地味な物だった。
「いつもの服装だと目立つでしょ?今日は宰相の息子の従者のアルディオとして、外出する事にしたわ」
「アルディオって──」
「という訳で、ご主人様、よろしく」
呆気に取られているレミオンにウィンクして、アルディナはマントのフードを被り長い金髪を覆い隠した。
そんなアルディナの様子を、不安そうに瞳を揺らし、深刻な顔でルーファースが見つめている。
「アルディナ様、どうしてもお出かけになるのですか?」
「アルディオよ。ルー」
「今出歩くのは危険です。中止できないのですか?」
アルディナは嘆息した。
「悪いけどルー、さっきも言ったけど、絶対に外出は止めないわ。大丈夫よ、この格好だし、一緒にセルティスやファリスも行くし」
当然とは分りつつ、その中に自分の名前がなかったことにレミオンは軽くショックを受けた。
「わかりました」
アルディナのその答えに、ルーファースの瞳に強い決意の光が宿る。
「それなら、もうお止めはしません──その代わり、このルーファースもお供して、この身命に変えても姫様をお守りいたします」
それは殊勝な決意だったが、見栄えだけ一番麗しくてもルーファースは剣の腕前はレミオン以下。何よりまだ子供で、連れていけば足手まといになるのは明らかだった。
「ありがとう、ルー、頼りにするわ」
だが以外にも王女はすんなりと、ルーファースの同行を認めた。
自分の邪魔をされるのを何よりも嫌うアルディナである。
下手にここにルーファースを置いて行ってディアスなどに報告されるより、ずっとましだと言う判断からだった。
レミオンとて、アルディナを守る為なら自身の命も惜しく無いというのもルーファースと一緒なら、足手まといになりそうなのも同じだった。それでも連れて行くのは、置いて行くよりはその方が安心だったからだ。 勿論レミオンの忠誠は疑わなかったが、それが仇となり自分の身を案じるあまり行き先を誰かに漏らしてしまう恐れがあるとも限らない。ディアスならまだましだったが、息子であるがゆえにあの老獪なザラーシュなどに告げられ、干渉されるのは好ましく思えなかった。

「さて、それでは出発よ。レミオン、あんたが先頭に立って」
「分りました」

アルディナに促され、レミオンは緊張し、皆の前に立って廊下を歩き出した──今まで常にアルディナの斜め後ろを歩いて来て──前方、ましてや団体の先頭を歩く事は初めてだった。

まず宰相の息子レミオンとその一行の五人は、出かける足の為に城の厩舎に向い、王女の許可を得たということで、ドルードにヘリテ、さらに足の速い馬を連れ出した。レミオンの白い馬は目立つのと、あまり足が速くないのが先の外出で証明されていたので、置いて行く事にした。

「夕刻には戻らないとね」
門兵に挨拶し城門をくぐると、ドルードに跨ったアルディナは東南に位置する太陽を見ながら、誰に言うともなく呟いた。
その時のアルディナは、まさか自分のその計画が狂う事になるとは夢想だにしなかった。
──さらに、それが、人生でも初めてと言える、波乱と危険に満ちた長い一日の始まりである事を──


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