第一章 : 二人の姫君
 

 
 
山々に囲まれた王国アスリー。
肥沃な大地と豊かな緑、冬でも雪が三日と積もる事の無い温暖な気候、四方を山に守られた地形から他国からの侵略も受けにくい、大陸の中でも際立って平和で恵まれた国だった。
その山の裾から広がる緑の大地を抜け、さらに連綿と続く耕地を抜けると、石造りの建物の目立つ立派な城下街に辿りつく。
その中央の小高い丘にあるのがアスリー城。
石造りの堅牢な高い城壁に囲まれた、国を一望できる5つの高い尖塔と、迷路の様な入り組んだ回廊を持つ巨大な城だ。

その尖塔の中でも一番高い塔の上、少女が一人、眼下に広がる景色を目つめていた。

月の光を編んだような金糸の髪、南海の明るい海の色を映した青くつぶらな瞳、桜色の唇──処女雪のように白くなめらかな肌──幼いながらも類い稀なる美貌を持った少女だった。
知性が宿るその幼い瞳は大陸の果てまでをも見晴るかす様だった。
「今日もいい眺め…」
目を細め小さく呟き、黄金の髪を風に躍らせながら、少女はまるで自分の命をもて遊ぶ様に塔の窓枠に座り、外に足を投げ出しぶらぶらさせた。
その足下には城の中庭が広がり、豆粒大の城使えの人間の姿がちらほら見える。
少女は街並みをぐるりと見てから、視線を城から少し離れた場所にある広場へと向けた。
アスリー王国刑場である。普段あまり人影のないその場所は、今は中央を空け群集で埋め尽くされている。
人々が取り囲んでいるのは断頭台だ。今日は公開処刑の日であった。
「みんな好きねぇ…」
少女は呆れている様な、どうでもいい様な顔で呟きながら、広場をしばし眺めていた。
肉眼ではよく見えないが、最前列の一段高い特等席、断頭台が最も良く見える場所には彼女の父親と妹が座している筈だ。

「危ないですよ姫!」

と、突如背後から鋭い声がして──
高所の強い風にさらわれそうなその少女の小さな身体を、誰かの腕がすくい取った。
「──レミオン」
少女は自分を抱き上げている、銀色の髪に空色の瞳をした十代半ばの少年の名を呼んだ。
幼い姫君の体を腕に抱きかかえながら、レミオンと呼ばれた少年が心からの安堵の息をつく。
「…寿命が縮まりました…アナルベルディナ姫…」
少年はまだ動揺冷めやらぬ顔に冷や汗を浮かべ肩で呼吸する。
「落ちたらどうするんですか──もう──こんなところに腰かけて!外は強い風が吹いているのに」
慎重に抱え上げていた少女の身体を床に下ろし、レミオンは泣きそうな声を上げた。
少女──アナベルディナはけらけらと笑った。
「心配性ね──落ちたりしないわよ」
「でも万が一落ちたらどうするんですか?」
身震いしながら言うレミオンにアナベルディナ──アルディナは噴き出した。
「この私が死ぬ訳ないじゃない、それに私が落ちたって大丈夫よ…どーせ私にはスペアがいるし」
「スペアって──誰も貴方の代わりにはなれませんよ」
真剣な眼差しでレミオンはアルディナの言葉に抗議した。
実際誰がこの賢王女の変わりになると言うのだろう?
「代わりになるわよ、ルペスが言っていたもの」
ルペスの名を聞き、レミオンは自分より頭一つ背の低い王女を見下ろし、眉をひそめた。
「あの旅の老賢者がですか?なんてです?」
「双子っていうのは、同じ人間がまっぷたつに別れた物なのですって」
さも面白い事実である様に、アルディナは言った。
「貴方とセリフェリス王女もそうだと?」
「顔を見れば成る程頷ける話でしょう?」
確かに、目の前にいる世継ぎの姫であるアナベルディナと、その妹で第二王女セリフェリスとの容姿は、父王や乳母でさえ見分けがつかない程うり双つだった。
「でも貴方とセリフェリス王女では全然性格が違うではないですか?」
レミオンの言う通り、二人の性格の違いは立ち居振る舞いや発言を見れば歴然としていた。派手好きで無邪気、明るい色のドレスを着て小鳥の様に城中を飛び回っているセリフェリスに比べ、いつも本を読んで青色などの寒色を好んで着るこの物静かな王女とではその内面に大きな違いがある様に見えた。
「全然違う?そうかしら?」
アルディナは自分の右手を見ながら独り言の様に呟いた。
自分は右ききで、セリフェリスは左きき、利き腕が違うという事に象徴される意味を考えながら──。
「一人の人間の要素を二つに分け合った──取り合って生まれたとは思えない? だから私に奪われた物をあの娘は持たず、あの娘に奪われた物を私は持たない」
「だとしたら、ほとんどのいい要素を貴方が受け取った事になりますよ、我が君」
言いながら、床に平伏し、片膝を立て腕を折り、わずか9歳の少女に向かってレミオンはかしずくポーズをした。
この四歳下の王女に13歳の彼は既に一生涯の忠誠を誓っていた。
第一大臣の息子、つまり宰相の長男である彼は、世襲制で地位が受け継がれるのが絶対であるこの国のシステムにあっては、次期宰相になるのが確実であった。
だが彼が世継ぎの姫、アルディナに忠誠を誓ったのは、自分の立場ゆえではなかった。
彼は目の前にいる9歳にして悟った様な暗い瞳をしている王女を、心から尊敬し、かつ愛していた。
そう初めて出会った時から──

色取りどりの花が咲き乱れる城の中庭、少年は泣いていて、少女は静かにそれを見つめていた。
「なぜ泣いてるの?」
少女は訊いた。
少年はその澄んだ声に振り返り、夾竹桃の花の影から自分を見つめている幼い少女の姿をそこに見出した。
年は4歳か大きくても5歳ぐらい、金糸の髪に青い瞳をした、まるで童話に出てくる妖精の様に愛らしい少女だった。
少女はじっとその場所へ立ったまま、少年の答えを待つように静かな視線を注ぎかけてくる。
「…僕は…」
最初は凍りついたように少女を見返していた少年──レミオンは──気がつくと震える唇を開いていた、少女の青く澄んだ瞳には、何かあらがえない魔力があった。
「…出来が悪いから…父上をいつもがっかり…させて…」
そう言うと、レミオンはまたしくしくと泣き始めた。
「…今朝も…ファリス…第三大臣の息子と…剣の試合をして…始まってすぐに…剣をはじかれて…見に来ていた…父上を失望させてしまって…」
嗚咽を漏らしやっと言葉を紡ぐ、少女の様に愛らしい少年の瞳からこぼれ落ちる大粒の涙を見つめながら、少女は静かにその言葉に耳を傾けて居た──が、そこまで聞くと、ふと、青いつぶらな目を細め、
「情けないわね、貴方」
大人びた溜息と共に感想を漏らした。
「…え?」
目を上げると、哀れみを込めた少女の冷淡な視線がレミオンの方へ向けられていた。
「貴方の父さんががっかりするのは貴方がそんな事で泣いている情けない息子だからよ──ふがい無さにがっかりしてるんだわ──少なくとも私なら絶対に泣いたりしない──そんな弱いの嫌い──私は強くありたいの──だから貴方みたいに自分の為に泣いたりなんて絶対しない──」
とても、4・5歳程の少女の口から出たとは思えない、奇跡の様に大人びて確信に満ちたセリフだった──レミオンはその言葉とそれを吐いた少女の強い瞳に心を打たれた。
「自分を哀れんで泣いてる暇があれば、見返す様に努力しなさいよ、情けない」
最後に叱咤する様に言い捨てると、唖然としているレミオンを残し、少女は踵を返しあっと言う間にその場を立ち去った。

── それがアスリー王国第一王女アナベルディナ・アスティリアと、宰相の息子レミオン・グレイブスとの始めての出会いだった──

それから2年後、レミオンは初めて父に連れられて行った国の公式行事で、その少女が双子の王女の片割れである事を知った。
「初めてお目にかけます。息子でございます、我が君」
「レミオンと申します」
宰相ザラーシュが息子を連れて挨拶に出ると、ギルシュ王は髭をしごきながら小さな少年の顔をマジマジと見つめた。
「ほう、そなたが将来の宰相か──どれ顔を上げてみよ」
レミオンはうつむいていた顔を上げ、初めて間近で王と二人の王女の姿を見た。
巨体に髭顔で上機嫌で笑う王の横に座る、赤いドレスを着た姫君と青いドレスを着た姫君。二人は双子なだけあり見分けがつかない程そっくりな姿形をしていた。
「ほう、なかなか利発そうな顔をしておる」
王が言うと、赤いドレスの姫も無邪気な顔で言った。
「それにとても見目麗しいわ」
青いドレスの姫君だけが二人とは対照的な感想を言った。
「上品で善良そうな澄み切った目──まるでお人形さんみたい──政治家より詩人か役者に向きそうな趣だけど」
辛らつな言葉はあの時と変わらない──その大人びた深い瞳も──レミオンはその一言でこの姫君があの時の少女である事を確信した。
「一の姫は手厳しいな」
王が愉快そうに哄笑を上げる。
「姉様の言う通り、確かにお人形さんみたい、ザラーシュには似てないわね」
赤いドレスの姫は無邪気な瞳で、深い皺を刻んだ銀髪の初老の宰相ザラーシュと、その息子の姿を見比べた。
「お父様、宰相の息子って事は将来私の片腕になる人物よね?」
青いドレスのアナベルディナは幼い顔に似合わない落ち着いた声で言った。
「そうなるな」
王が肯定する。
「てんで頼りなく見えるんだけど、さてどうしたものかしら?」
その王女の言葉に、ザラーシュがかしこまって王女に言う。
「姫様、今はほんの子供ゆえ頼りなく見える事でしょうが、息子にはこれから様々な教育を施し、必ずや貴方様の片腕に相応しい人物に育て上げますので、ご心配無き様──」
「心配するなって言ってもね──」
王女の物憂げな言葉に、横の王が思いついた様に言った。
「それならこうしてはどうだ、一の姫。お前がいっそ教育してやっては」
ギルシュ王の親馬鹿もここに極まったと言う発言である。
11歳になる少年をわずか7歳の少女に教育してやれと言うのである。レミオンにとっては侮辱、父親である宰相もいい恥を欠かされた事になる。
だが普段から横柄な王の態度に慣れている宰相は顔色一つ変えず、むしろこう言った物である。
「そうして頂けるならありがたき幸せでございます。姫様──」
横で父親の言葉を聴きながらレミオンの意識はそれに対する王女の反応に集中していた。
王女は王の提案になんて答えるだろう? そんなのは迷惑だと、拒絶されるかもしれない──
だがそんな少年の不安を打ち消す様に、アルディナはめずらしく父王の意見を肯定した。
「そうね、私の家庭教師はどれも最高の学者揃いだし、悪くはない提案かもしれないわね」
「おう、姫もそう思うか」
自慢の賢い姉姫に賛成され、王は顔を輝かせた。
「えー姉様だけずるい」
だが可愛い妹姫がその後、唇を尖らせ不満の声を漏らす。
妹が機嫌を損ねると煩いので、アルディナは適当に機嫌の治りそうな提案をした。
「──それなら、セリフェは、もっと綺麗な美少年をお父様にねだったら?」
「おう、いいぞいいぞ、可愛いセリフェの為に選りすぐりの美少年を国中から探させるぞ」
王も一の姫の提案に便乗する。
「この子より綺麗な少年?」
アルディナはセリフェの言葉に当然と言う様に、
「それは国中から選りすぐるんだから、このレミオンとは比べ様も無いぐらいのまばゆいばかりの美少年に、決まってるわよ」
王女に自分の名前を呼ばれ、レミオンの胸はとくんと高鳴った。
(僕の名前を覚えてくださった──)
「それならいいわ」
単純なセリフェは姉の言葉にすっかり機嫌を直して微笑んだ。
「それでは決まりだな、レミオン、王女の側でよく学ぶがいい」
「ありがたき幸せにございます」
王の言葉を受け、レミオンは顔中真っ赤にして、床に片膝を着き深く頭を垂れた。

── かくしてレミオンはその次の週から、アナベルディナの側使え兼学友として、親元を離れ城に移り住む事になった。
以来二年半、ずっとこの美しい姫君と共に行動をしている。

床に降ろされた王女は、塔の窓枠に手をついて、再び刑場の方を眺めていた。
長いまつ気にすっと通った鼻筋、細い顎、形のいい唇、その天使の様な完璧なラインの横顔に、レミオンは見とれて立っていた。
「レミオン見て」
急に呼ばれ、 はっ、として窓まで進み出る。
「なんでしょうか?」
「ほら、群集が割れて道が出来た。刑を執行される人間が引き連れられて来たみたいね」
「そうですね、よく見えないけど、今日刑を執行されるのは、他国の男でしたね? 確か──」
「そうよ、南の方から来た旅人よ」
「確か窃盗罪で捕まったとか」
「そう、城に来た時、奥の宝物殿から宝石を盗んだとか言うのが罪状らしいわね」
「はい、王国の創始以来の基調な宝石と聞きました」
「ふふ」
その言葉を聴いて王女が急に笑い出したのを、レミオンは不思議そうな顔で見た。
「何がおかしいのですか?」
「あんな宝石アスリーでは取れないし、城の宝物庫の目録でも見た事もないわ」
「姫は見たのですか?」
「ええ、見た事もないぐらい大粒の、七粒のそれぞれ色の違う見事な宝石」
「七色ですか?」
「南の方はよく宝石が取れるそうよ」
「それは姫── 一体どういう──」
「男はお父様に宝石を売りに来たのよ。 世にも基調な大粒の七粒の宝石を、勿論値段は莫大な額よ。お父様は代金を支払いたくなかったのね。 男はその場で捉えられ、お父様はその宝石を七人の大臣に分けた。セリフェがその場にいたら欲しがってそんな事許さなかったでしょうね。でもセリフェは庭園で遊んでいて、その場にいたのはこの私と、大臣達と、そしてあの旅の男とその息子──」
「それは誠の話なのですか?」
「本当の話よ。だって大臣達に分ける様に提案したのはこの私だもの。貴方の父親も持ってる筈だわ」
「そんな──そんな──酷い事が──」
レミオンは信じられないという瞳でアルディナの顔を見た。
「父王はその宝石を私にもくれると言ったわ。でもそんな汚らわしい宝石私は欲しくなかった。セリフェなら喜んで受け取ったでしょうね。だからその場にいた七人の大臣に分けさせたの。勿論口封じの為なんかではないわ、父王の悪行はこれに限らないし、今まで黙認してきた大臣達も共犯だもの。だからこそ、その証しを形にしておけばどうかと思っただけよ。これからも父王と一緒に全ての業を背負っていく事の証、その象徴としての宝石」
「では今刑を執行される男は無実の罪で──」
レミオンの澄んだ空色の瞳が揺れ、暗い影がその表情に落ちる。
優しいこの少年には耐えられない酷い事実だろう。だからこそアルディナは聞かせたのだ。
世の中とはこういう物だと。
力ある物の理屈が間違っていても通るのだ。
ただ男の喉が真実を叫べない様に焼かれた事までは言わなかった。むごい話を聞かせてこの優しい少年の心を痛ませる事が本位ではない。
「その一緒に居た息子の方はどうなったのですか?」
「──息子は…」
言いかけながらアルディナは思い出していた。男と一緒に居た美しい少年の事を、甘い顔立ちの、絶世の美少年と言われているこの国の第六大臣の息子にもひけを取らない麗しい美少年だった。
「第四大臣が、奴隷として引き取って言ったわ」
「奴隷ですか?」
「そう、だから、第四大臣が飽きるまで、生かされるんじゃない?」
「飽きるとはどういう意味ですか?」
「そんな事は自分で考えなさいよ、レミオン、何の為の頭があるの?」
レミオンは頬を朱に染めた。
「年は幾つなのですか?」
アルディナは溜息しながら、
「確か、貴方と同じ年ぐらいよ」
「姫は──姫は───その様な事を神がお許しになると思っているのですか?」
心の動揺を映しレミオンの瞳は揺れ、声は震えていた。
「どうかしらね? でも多分──以前読んだ本に書いてあった通りじゃないの?」
「どういう事ですか?」
アルディナは上空を仰ぎ、口元に皮肉な笑みを形作った。
「いつの世も神の居た試しは無し」
歌う様に言い、そのまましばし空を凝視する。
「なぜ…姫は止めなかったのですか?全てを知りながら?」
かすれた声でレミオンが問う。
「そんなの決まってるわ」
王女は無表情に呟いた。
「私にとってはそんなのどっちでも良かったからよ」
ただ…と、王女は呟いた。
「流石に間近であの男が殺されるのを見る気はしなかったけどね──」
言うと、アルディナは窓から離れた。
「姫様…」
レミオンは歩き出すアルディナの背を追った。
その時、離れた刑場ではまさに断頭台の刃が落とされ、男の首が飛び、人々の歓声が上がっていた。

「アルディナ姫」
長い階段を降り、塔から出て城の中庭を歩いてると、アルディナの名を呼ぶ声がした。
「あら、ファリス」
見ると向こうから第三大臣の息子ファリスが、赤いマントを翻し歩いてくるのが目に止まった。
ファリスは流れる長い黒髪を後ろで束ね、端正な顔に誇り高い黒い瞳、長身で鞭の様に引き締まったしなやかな体をした鷹の様な少年だった。
年はレミオンと同じ13歳だが、長身と落ち着いた表情から彼の年は15・6には見えた。
「刑場にいらっしゃられなかったのですね」
「まぁね、ファリスこそ、見に行かなかったの?」
「趣味に合いません」
ファリスは含みのある微笑を浮かべた。
「そう」
「王女こそ書庫の方におられなかったので、てっきり刑場に行ってるのだと思っていました」
「ちょっと塔で風に当たっていたの。書庫はこれから行くところよ、ファリス」
旅の賢者ルペスがアスリー城の客人となってから、本の虫である彼が書庫にいるのを訪ね、その話を聞くのがアルディナの日課になっていた。
「これからでしたら、私も混ざってもよろしいでしょうか?」
「別にいいわ」
頷いて、アルディナが再び歩き出すと、ファリスはレミオンに並んでアルディナの背後に付き従った。
レミオンはチラリと横を歩く、自分より背の高いおさななじみの顔を眺め見た。
同じ大臣の息子として、幼い頃から父によって何かと出来のいいファリスと比較されて育って来たレミオンは、彼を強く意識していた。
長身で剣技にたけ、冷静沈着なファリスは、アスリー国の中枢を担う七人の大臣達の跡継ぎの中でも、際立って優れた資質と才能を持っていた。
常にまっすぐ伸びた背筋と、落ち着き払った態度、何を考えてるか読めない表情から、昔からレミオンはファリスが苦手だった。
中庭から再び城の中に入り、書庫へと続く城の廊下を歩いていると、今度は第6大臣の息子、ルーファースに行き当たった。
「あぁ、アルディナ様」
アルディナの姿に気ずくと、ルーファースはぱーっと顔を輝かせた。
「こんにちはルー。今日もセリフェに呼ばれて来たの?」
はちみつ色の髪に、緑の瞳、芸術の様に彫られた甘い顔立ち、今年で11歳になる絶世の美少年であるルーファースは、セリフェリスの一番のお気に入りの少年だった。
「はい、今日は庭園で劇のまね事をなさるということで、私に役を下さるそうです」
「ふーん、そうなの、頑張ってね」
昔のアルディナなら『将来の第6大臣が俳優の真似事を?』ぐらいの嫌味を言ったかもしれないが、最近のアルディナはセリフェに関わる事は放置の方向だった。
ルーファースはアルディナの背後のファリスとレミオンを見て、
「姫達はどこへゆかれるのですか?」
と、訊いた。
「書庫に行くところよ、老賢者ルペスに旅の話でも聞こうと思って」
ルーファースはなぜか少し頬を赤く染めて、
「僕も、劇を終えた後、そこへうかがってもよろしいでしょうか?」
エメラルドの瞳を大きく見開き、少し上ずった声でアルディナに伺いを立てた。
「勿論いいわよ、ルー」
アルディナは微笑みながら頷いた。
「ありがとうございます」
ルーファースは花の様な笑顔を浮べ、「それではまた」と、一礼をして小鹿が跳ねるように走って去っていった。
「ルーも関心じゃない、賢者の話に興味を持つなんて」
再び歩き始めながらアルディナは呟いた。
その背中を複雑な瞳で見つめ、
(ルーは貴方に興味を持ってるんですよ。姫)
レミオンは心中で呟いた。
彼は 気ずいていた、セリフェといる時も、いつもアルディナに注がれている、ひたむきなルーファースの視線を──

レミオン、ファリス、それにルーファースの三人は、幼い頃から同じ王国付の剣術指南役レーベルの元で剣技を習って来た。彼らだけではなく他の大臣の息子達も、最高の剣義を学ぶ為にこぞってレーベルの元へ通わされていて、言わば同門のおさななじみだった。
軍の剣術指導もするレーベルはアスリー城に居住を許されていて、剣術の稽古場も城の敷地内にあった。 レミオンが初めてアルディナに会ったあの日も、城で年に一度行われる、レーベルの門下の剣技のお披露目試合で負けて、泣き場所を探している間に城の中庭に出てしまったのだ。
生来の穏やかな気質が似ているので、レミオンとルーファースは大臣の息子達の中でも気が合う方で、稽古の合間に一緒に話す機会も多かった。
「レミオンはいいな、アルディナ様といつも一緒に居られて」
城に住む様になったばかりのある日、レミオンはルーファースに心底うらやましそうにそう言われた。
「ルーだってセリファ王女に気にいられてるだろ?」
先の公式行事で幼い二の姫が第六大臣の息子に一目惚れした話は、城中では有名な話だった。
レミオンのその言葉に、長いまつ気を伏せ、可憐な口元にさびし気な笑をたたえてルーファスは答えた。
「──確かにセリフェリス様も楽しく愛らしい方だけど、僕にとってはアルディナ様は特別な存在なんだ」
「特別?」
「うん、幼いながらも読書を好み、落ち着いて聡明なあの方を見ていると、僕は死んだ母様を思い出す。
僕の死んだ母様も姫様と同じで、女性には珍しく本を好み、知性的で物静かな女性だった。
だからアルディナ様を見てると、まるで幼い頃の母様を見ている様な気がして、僕はそれだけで胸がいっぱいになるんだ──」
言いながら感受性の豊かなルーファースが瞳を潤ませたのを、レミオンは今でも憶えている。
4年前に死んだ彼の母親は、同じく今は亡き王妃と並び称される程の絶世の美女で、ルーファースにとっては理想の女性だった。屋敷の広間には青いドレスを着た母親の大きな肖像画が今でも飾られいて、飽きもせずに毎日その絵を眺めるのがルーファースの日課になっていた。
初めて会った時アルディナが纏っていた青いドレスと、その肖像画の母親の青いドレスの印象が重なり、余計にルーファースに王女に母親の面影を重ねさせていた。
正しく言うとアルディナの場合、知性的で物静かの後には「辛らつ」がつくのだが、自分が仕えている主人の悪口も言えないので、レミオンはあえて口に出さなかった。
全く同じ顔であるのだから、どうせ好かれている事だしセリフェの方を慕えばいいのに、と恋する者の勝手さでレミオンは思ったが、無邪気で知性からも品性からも程遠いセリフェでは、ルーファースが母親を思い出せないのはしょうがないだろう。
それに恋敵はルーファースだけではない、いつも無表情なファリスの瞳が王女の前だけでは甘くゆるむのを、レミオンだけは目聡く気ずいていた。
さらに優れた者を好むアルディナが、ファリスの事を認め、気にいってる事にも──
元々大臣の息子達は城の出入りが自由に許されていたが、軍を司る大三大臣の息子であるファリスは最年少の12歳で昨年末から父親が統括する軍隊に兵士として入隊していて、今年から近衛兵として城で任務に当たっていた。
以来、 ほぼ毎日城で寝起きし、非番の時には本好きの王女が好んで過ごす書庫に頻繁に彼も顔を出す様になっていた。特に老賢者が来てからこっちは、軍の仕事をサボってるのではないかと言うぐらいにしょっちゅう通って来る。 
レミオンにとって書庫は今までは自分とアルディナが二人っきりで過ごす聖域だったのに、最近はファリスによってそれを侵され、二人の間に割り込まれる様で、内心は穏やかではなかった。正直、二人が親しそうに会話をしているのを見ているだけでも、心が乱れる有様だ。
勿論、自分とは違い、ファリスの場合、単に賢い年下の姫君を妹の様に可愛く思っているだけなのかもしれなかったし、むしろその可能性の方が高かったのだが──
(愚かだとは分っているんだけど)
他の人間では無くファリスだから自分はこんなにも意識し動揺してしまうのだ。
自分が手に入らない物を安々と手に出来る彼が、今度は自分が一番手に入れたかった王女の心を奪うってしまう事を、レミオンは最も恐れていた。
そんな風に考え事をしているレミオンを置いて、書庫の大きな扉の前に来るとファリスが王女の前にさっと進み出て、素早く扉を開いた。
「ありがとう」
言ってアルディナは書庫の中を覗き見る。
部屋の中はほこりっぽく、薄暗く、シンとして、まるで人の気配が感じられない。
「ルペス?」
いないのだろうか?
アルディナは老賢者の名前を呼びながら、書庫の中に一歩足を踏み入れた。

それと同じ頃──城を東に行った広大な敷地に建つ第四大臣の邸宅の一室で、一人の少年が全裸で両腕を縛られ、首輪をされて、広いベットの上にうつ伏せにされていた。
肩ぐらいの長さの黄金の髪は乱れて汗で肌に張り付き、乳白色の美しい象牙の様な肌の上には無数の痣や噛み跡が散らされている。
「もう、正午は回ったな。今頃お前の父親の処刑が終わり、生首が転がってる頃だ」
残忍な笑顔を浮かべながら、第四大臣ガムレーが、横たわる少年の細い腰や尻山をいやらしい手付きで撫で回す。
その愛撫しにも無反応で、身動きもせず、顔をうつ向けに横たわる少年の表情は、上から見下ろす大臣にはうかがい知れない。
もしも彼の顔の見える位置にいたなら大臣にも見えただろう──らんらんと憎しみの炎にたぎらせた燃える様な彼の目を──
(殺してやる)
血を吐く様に──少年はもう100度目以上の呪詛を心の中で吐き連ねた。
(あの場にいた全員を──皆殺しにしてやる──)
殺意と共に少年の脳裏に浮んだのは、父親と共に引き連れられて行く時見た最期の光景──玉座に座る髭顔に巨体の傲慢な王、両脇にはべり事の成り行きを傍観する大臣達──そして、王の横に座し、無表情に自分を見下ろす類稀なる美貌の幼い王女──アナベルディナの姿だった──
 

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